読めない、書けない

 生活パターンがまるっきり変わってしまったせいか、中毒のように読んでいた本もあまり読めず、文章もあまり書けなくなってしまった。「ぜんぜん」ではなくて、「あまり」なのに、なんだか自分が自分でなくなったような気がして不安が消えない。時間がない、というわけでもなく自由な空き時間は以前よりも増えたはずなのに、その分ぼんやりすることが増えて、スマホでだらだらネットを見たり、マンガを読んだり、テレビを見るともなく見たりしている。

 本を読んだり、文章を書いたり、ゲームをしたり、という自分の趣味と言うよりも、自分がとても大切にしていた生活習慣のようなものたちを行わなくても生きていけているということにも驚いている。本がなければ生きていけないと思っていたのに、本がなくても生きていけているのである。怖い。これでは何を楽しみに生きていけばいいのかわからない。

 楽しみにしていたキャロル・オコンネルの新刊もまったく進まず、おもしろそうだと思う本を買っては見るものの積んでいくばかりで、実家から持ち帰った何度も読み返した本も結局開かないままである。ただ、表紙を見ると安心する。だから、乱雑に並べたままである。

 本屋や図書館ではおもしろそうだと思って本を買ったり、借りたりするのに家に帰ると無気力になる。

 漫画は読めるが、活字が読めない。唯一読めるのがエッセイだとわかったので、エッセイをちょこちょこ読んでいる。もしかしたら、今は自分の人生における趣味や生活習慣、好きなものが変わっていく過渡期なのかもしれない。

 本を読んだり、文章を書いたり、ゲームをするというのは、昼間ではなく、夜中にこっそり一人でするものだという、どこか後ろめたさがあるから、昼間だと集中できないのかもしれない。どうにか自分の中で時間の使い方を変えていくしかないのだろう。